16. 講義 3、レッスン 3
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1「世の結びつきを知り、(放逸は彼の益ならず[1])。」「汝みずからの自己との類似より外(の世)を見よ、[然らば]汝は(生ける者を)殺しも滅ぼしもせざるべし。」すなわち、相互の配慮より[よく省察して]彼は罪ある行いをなさず。聖者の特徴とは何か。「(一切の生ける者の)平等を認め、彼はみずからを静むる。」(1)
2至高の善を知り、人は決して放逸なるべからず。みずからを守り、常に慎み深く、正しき道において生涯を過ぐべし。
3「大いなる者(すなわち神)と共にあろうと、小さき者ら(人)と共にあろうと、感覚的享楽への度外視を獲得すべし。」人はいずこより来たりていずこへ去るかを知り、両端が視界の外にあるとき[2]、人は全世界において[4]何人によっても、切られず、裂かれず、焼かれず、打たれず[3] (2)。
4或る者らは現在に先立ちしものを記憶せず。「彼の過去はいかなるものであったか。彼の未来はいかなるものとならんや。」ここに或る人らは言う、「彼の過去であったもの、それこそが彼の未来とならん[5]」と。
5過去の事物は存在せず、未来の事物もまた存在せず。如来らはかく見解す。
6業の已み、行い正しく、(上に述べられたる)真理を認めて罪深き性を滅ぼす者は(思う):
7不満とは何ぞ、快楽とは何ぞ。いずれにも服することなく、人は生くべし。
8一切の陽気さを捨て、慎重にして自制し、人は宗教的生活を送るべし。(3)
9人よ! 汝は汝自身の友なり。何ゆえに汝は汝自身のほかに友を欲するや? 高き処に住するもの[6]として知る者を、人は(罪より)遠く離れて住するものと知るべし。また(罪より)遠く離れて住するものとして知る者を、人は高き処に住するものと知るべし。人よ!(外なる世界より)汝自身を制せば「汝は苦痛より解き放たれん」。人よ、真理をよく覚れ! 真理の掟に励む賢者はマーラに打ち克つ。(4)
10「法に従う有徳の者[7]は、己の真の利益をよく見届く」。災厄に触れども、二重の道[7]において惑わされることなし。「これを心せよ! 尊者は、この世において造られしもの[9]を脱れ出づる」。斯く我は語る。(5)
11これは極めて難解なる一節なり。結合(サンディ)はカルマヴィヴァラ、サンミャグジュニャーナーヴァープティ、ならびに一時的にのみして未だ徹底的には静止に至らざる霊魂の状態として、種々に解釈さる。文を完結せしめんがため、注釈家らは pramādo na śreyase を補足す。本文の語句がシュローカのパーダを構成せるがゆえに、pamāo neva sejjase p. 32 の如き句がこの半詩行を結びたる蓋然性高し。その義は「世俗の患難を脱れ出づるため、いかなる間隙をもよく活かせ」ということなり。
12注釈によれば、ナーガールジュナ派の読解は次の如くであった。「対象における五つの(知覚)と三つの階級(すなわち善、中、悪)を、二重(すなわち避くべきものと受容すべきもの)において本質的によく知る者は、いずれ(愛と憎しみ)によっても損なわれることなし」。これらの語は一個のシュローカを成す。
13注釈はこれらの語を前文に結びつけ、対格はいかなる者によるという具格を表すものなりと説く。
14原文の語句は乱れたるトリシュトゥブの如く読まれ、注釈者の引用せる異読についても同様なり。
15本文には明らかに掛詞あり。uccālaiyaṃ は uccālayitāram =(罪の)除去者と解釈さるるも、dūrālaiya に対比さるるにおいては、我らが上に採用したる意味を有す。
16愛と憎悪のため、あるいは世俗的ならびに天上の至福のために。
17もし loyāloya が省かれるならば、最後の語句はシュローカの半句を成す。
出典: Ācārāṅga Sūtra · Hermann Jacobi (Sacred Books of the East)
WEBREATH · 11:11
「一切の生ける者の平等を認め、彼はみずからを静むる」 — アーチャーランガ・スートラ 16
息はすべての人にひとつ。誰であっても、何を信じていても、人はみなこの息によって生きています。毎日、現地時間の11:11に、人々は60秒間立ち止まり、呼吸をして、その息を神に感謝します。それぞれが自分の言葉で、それぞれが自分の内で。この1分間、私たちはひとつの息です。
WEBREATH — 現地時間11:11の1分間 — 私たちはひとつの息