マインドフルネス瞑想
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1.1かくのごとく、我聞けり—
1.2ある時、世尊はクル国にあるカンマーサダンマという名のクル族の町に滞在しておられた。
1.3その時、世尊は比丘たちに呼びかけられた。
1.4「比丘たちよ」と。
1.5「尊師よ」と、比丘たちは世尊にお応えした。
1.6世尊はこのように説かれた。
2.1「比丘たちよ、この道は、衆生の清浄のため、憂いと悲嘆の超克のため、苦しみと憂悶の滅尽のため、正道の獲得のため、涅槃の現証のための、唯一の道である。すなわち四つの念処である。
3.1いかなる四つか。
3.2比丘たちよ、ここに比丘は、身体において身体を観察し、熱心に、正知を具え、正念を保ち、世における貪欲と憂いを除き去って住する。
3.3感受において感受を観察し、熱心に、正知を具え、正念を保ち、世における貪欲と憂いを除き去って住する。
3.4心において心を観察し、熱心に、正知を具え、正念を保ち、世における貪欲と憂いを除き去って住する。
3.5諸法において諸法を観察し、熱心に、正知を具え、正念を保ち、世における貪欲と憂いを除き去って住する。
3.6総説を終わる。
4.0.11. 身の観察
4.0.21.1. 身の観察・出入息の節
4.1比丘たちよ、では、比丘はいかにして身体において身体を観察して住するのか。
4.2比丘たちよ、ここに比丘は、森に赴き、あるいは樹下に赴き、あるいは空屋に赴いて、結跏趺坐し、身体をまっすぐに保ち、面前に念を確立して座る。
4.3彼は念を保ってまさに息を吸い、念を保ってまさに息を吐く。
4.4長く吸いながら『長く息を吸う』と了知し、長く吐きながら『長く息を吐く』と了知する。
4.5短く吸いながら『短く息を吸う』と了知し、短く吐きながら『短く息を吐く』と了知する。
4.6『全身体を感銘しながら息を吸おう』と修学し、『全身体を感銘しながら息を吐こう』と修学する。
4.7『身体の働きを静めつつ息を吸おう』と修学し、『身体の働きを静めつつ息を吐こう』と修学する。
4.8比丘たちよ、譬えば熟練せる轆轤師あるいは轆轤師の弟子が、長く引くときには『われ長く引く』と了知し、短く引くときには『われ短く引く』と了知するが如く、
4.9比丘たちよ、かくの如くまさに、比丘は長く息を吸うときには『われ長く吸う』と了知し、長く息を吐くときには『われ長く吐く』と了知し、短く息を吸うときには『われ短く吸う』と了知し、短く息を吐くときには『われ短く吐く』と了知する。
4.10『全身体を感得しつつ息を吸おう』と修学し、『全身体を感得しつつ息を吐こう』と修学する。
4.11『身行を静めつつ息を吸おう』と修学し、『身行を静めつつ息を吐こう』と修学する。
5.1このように、内において身を随観して住し、あるいは外において身を随観して住し、あるいは内外において身を随観して住する。
5.2あるいは身において生起する法を随観して住し、あるいは身において滅尽する法を随観して住し、あるいは身において生起と滅尽の法を随観して住する。
5.3あるいはまた、彼に『身がある』との念が現前して立ち現れる。ただ智の極みのため、ただ気づきの極みのために。そして何ものにも依存せず住し、世において何ものをも執着しない。
5.4比丘たちよ、このように比丘は身において身を随観して住するのである。
5.5出入息の節、終わる。
6.01.2. 身随観・威儀の節
6.1さらにまた、比丘たちよ、比丘は行くときには『われ行く』と了知し、立つときには『われ立つ』と了知し、坐すときには『われ坐す』と了知し、臥すときには『われ臥す』と了知する。
6.2あるいはその身が置かれているとおりに、その身を了知する。
7.1このように、内において身を随観して住し、あるいは外において身を随観して住し、あるいは内外において身を随観して住する。
7.2あるいは身において生起の法を観察して住し、あるいは身において滅尽の法を観察して住し、あるいは身において生起と滅尽の法を観察して住する。
7.3また、あるいは、「身がある」と彼に念が現起する。ただ智の度合、正念の度合に至るまで。そして依り処なくして住し、世において何ものをも執着しない。
7.4比丘たちよ、このように、比丘は身において身を観察して住するのである。
7.5威儀の節、終わる。
8.01.3. 身随観・正知の節
8.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は、進むときにも退くときにも正知を作す者となり、見るときにも見回すときにも正知を作す者となり、屈するときにも伸ばすときにも正知を作す者となり、大衣・鉢・衣を帯びるときにも正知を作す者となり、食べ、飲み、噛み、味わうときにも正知を作す者となり、大小便を排泄するときにも正知を作す者となり、行くときも、立つときも、坐るときも、眠るときも、覚めているときも、語るときも、沈黙するときにも、正知を作す者となる。
9.1このように、内において身を観察して住し……中略……
9.2比丘たちよ、このように、比丘は身において身を観察して住するのである。
9.3正知の節、終わる。
10.01.4. 身随観・厭逆作意の節
10.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は、まさにこの身を、足の裏より上、頭髪の頂より下、皮を境界として、種々なる不浄に満ちていると観察する。
10.2「この身には、頭髪、体毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃中物、糞、胆汁、痰、膿、血液、汗、脂肪、涙、膏油、唾液、鼻汁、関節液、尿がある」と。
10.3比丘たちよ、例えば、両口ある袋に種々の穀物、すなわち、稲、籾、緑豆、小豆、胡麻、白米が満ちているようなものである。眼ある人がそれを解いて、「これは稲、これは籾、これは緑豆、これは小豆、これは胡麻、これは白米である」と観察するがごとくである。
10.4比丘たちよ、まさにそのように、比丘は足の裏より上、頭髪の先より下、皮膚に囲まれ、種々雑多な不浄に満ちたる、まさにこの身を省察する。
10.5「この身には、頭髪、体毛……(中略)……尿がある」と。
11.1このように、内なる身において身を観じて住し……(中略)……
11.2比丘たちよ、このように比丘は身において身を観じて住するのである。
11.3厭逆作意の節、終わる。
12.01.5. 身随観・界作意の節
12.1比丘たちよ、さらにまた、比丘はまさにこの身が置かれたるがごとく、配置されたるがごとく、界によりて省察する。
12.2「この身には、地界、水界、火界、風界がある」と。
12.3比丘たちよ、それはあたかも、熟練した屠牛者、あるいは屠牛者の弟子が、牛を屠り、四辻において部分ごとに切り分けて座しているようなものである。
12.4比丘たちよ、まさにそのように、比丘はまさにこの身が置かれたるがごとく、配置されたるがごとく、界によりて省察する。
12.5「この身には、地界、水界、火界、風界がある」と。
13.1このように、内なる身において身を観じて住し……(中略)……
13.2比丘たちよ、このように比丘は身において身を観じて住するのである。
13.3界作意の節、終わる。
14.01.6. 身随観・九墓地の節
14.1比丘たちよ、さらにまた、比丘はあたかも墓地に捨てられた死体が、死後一日、あるいは死後二日、あるいは死後三日を経て、膨張し、青黒くなり、腐汁を流しているのを見るがごとし。
14.2彼はまさにこの身に引き比べて省察する。
14.3「この身もまた、このような法(性質)を有し、このようなものとなり、これを免れることはできない」と。
15.1このように、内なる身において身を観じて住し……(中略)……
15.2比丘たちよ、このように比丘は身において身を観じて住するのである。
16.1さらにまた、諸の比丘よ、比丘はあたかも墓場に棄てられた死体が、烏に食われ、あるいは鷹に食われ、あるいは禿鷹に食われ、あるいは蒼鷺に食われ、あるいは犬に食われ、あるいは虎に食われ、あるいは豹に食われ、あるいは豺狼に食われ、あるいは種々の微虫の類に食われているのを見るがごとし。
16.2彼はまさにこの身を引き比べる:
16.3「この身もまた、かくのごとき法あり、かくのごときものとなり、かくのごときを過ぎ越さざるものなり」と。
17.1このように、内において身に身を観じて住し……略……
17.2諸の比丘よ、このように比丘は身に身を観じて住する。
18-23.1さらにまた、諸の比丘よ、比丘はあたかも墓場に棄てられた死体が、肉と血とを伴い、筋によって繋がれたる骸骨の連なりであるのを見るがごとし……略……
18-23.2肉なくして血に塗れ、筋によって繋がれたる骸骨の連なり……略……
18-23.3肉も血も離れ、筋によって繋がれたる骸骨の連なり……略……
24.1繋がりを離れて四方八方に散乱し、あちらには手の骨、あちらには足の骨、あちらには踝の骨、あちらには脛の骨、あちらには腿の骨、あちらには腰の骨、あちらには肋骨、あちらには背骨、あちらには肩の骨、あちらには頸の骨、あちらには顎の骨、あちらには歯の骨、あちらには頭蓋骨の散らばるを見るがごとし。
24.2彼はまさにこの身を引き比べる:
24.3「この身もまた、かくのごとき法あり、かくのごときものとなり、かくのごときを過ぎ越さざるものなり」と。
25.1このように、内において身に身を観じて住し……略……
25.2諸の比丘よ、このように比丘は身に身を観じて住する。
26-28.1さらにまた、諸の比丘よ、比丘はあたかも墓場に棄てられた死体が、白く螺殻の色のようになりたる骨を見るがごとし……略……
29.1年を経て積み重なりたる骨……略……
30.1朽ちて粉々となりたる骨。
30.2彼はまさにこの身を引き比べる:
30.3「この身もまた、かくのごとき法あり、かくのごときものとなり、かくのごときを過ぎ越さざるものなり」と。
31.1かくして、内に身において身を随観して住し、外に身において身を随観して住し、内外に身において身を随観して住す。
31.2あるいは身において生起法を随観して住し、身において壊滅法を随観して住し、身において生起壊滅法を随観して住す。
31.3また、「身あり」との念が、ただ智の極み、念の極みのために彼に現前す。そして依ることなく住し、世における何ものをも執着せず。
31.4比丘たちよ、実にこのように比丘は身において身を随観して住す。
31.5九墓地節、終わる。
31.6十四身随観、終わる。
32.0二.受随観
32.1比丘たちよ、では、どのように比丘は諸受において受を随観して住するのか。
32.2比丘たちよ、ここに比丘は、楽の受を感受しては「楽の受を感受す」と了知す。
32.3苦の受を感受しては「苦の受を感受す」と了知す。
32.4不苦不楽の受を感受しては「不苦不楽の受を感受す」と了知す。
32.5有食の楽の受を感受しては「有食の楽の受を感受す」と了知す。
32.6無食の楽の受を感受しては「無食の楽の受を感受す」と了知す。
32.7有食の苦の受を感受しては「有食の苦の受を感受す」と了知す。
32.8無食の苦の受を感受しては「無食の苦の受を感受す」と了知す。
32.9有食の不苦不楽の受を感受しては「有食の不苦不楽の受を感受す」と了知す。
32.10無食の不苦不楽の受を感受しては「無食の不苦不楽の受を感受す」と了知す。
33.1かくして、内に諸受において受を随観して住し、外に諸受において受を随観して住し、内外に諸受において受を随観して住す。
33.2或いは受において生起の法を観じつつ住し、或いは受において衰滅の法を観じつつ住し、或いは受において生起と衰滅の法を観じつつ住す。
33.3また、「受がある」とのかれにおける念が現起す。ただ智の度合、正念の度合のためのみであって、依る処なく住し、世間において何ものをも執着せず。
33.4比丘たちよ、このように比丘は受において受を観じつつ住す。
33.5受随観、終わる。
34.0三、心随観
34.1比丘たちよ、いかにして比丘は心において心を観じつつ住するのか。
34.2比丘たちよ、ここに比丘は、貪りある心を「貪りある心」と了知す。
34.3離貪の心を「離貪の心」と了知す。
34.4瞋りある心を「瞋りある心」と了知す。
34.5離瞋の心を「離瞋の心」と了知す。
34.6痴れある心を「痴れある心」と了知す。
34.7離痴の心を「離痴の心」と了知す。
34.8沈縮せる心を「沈縮せる心」と了知す。
34.9散乱せる心を「散乱せる心」と了知す。
34.10広大なる心を「広大なる心」と了知す。
34.11非広大なる心を「非広大なる心」と了知す。
34.12有上なる心を「有上なる心」と了知す。
34.13無上なる心を「無上なる心」と了知す。
34.14定まれる心を「定まれる心」と了知す。
34.15定まらざる心を「定まらざる心」と了知す。
34.16解脱せる心を「解脱せる心」と了知す。
34.17未解脱の心を「未解脱の心」と了知す。
35.1かくして、内において心に心を観じつつ住し、或いは外において心に心を観じつつ住し、或いは内外において心に心を観じつつ住す。
35.2或いは心において生起の法を観じつつ住し、或いは心において衰滅の法を観じつつ住し、或いは心において生起と衰滅の法を観じつつ住す。
35.3あるいはまた、彼において、「心がある」と念が確立されている。ただ知のため、ただ念慮のためのそれであり、彼は何ものにも執われず住し、世において何ものをも執受しない。
35.4比丘たちよ、このように比丘は心において心を観じて住する。
35.5心随観、終わる。
36.0.14. 法随観
36.0.24.1. 法随観・蓋篇
36.1比丘たちよ、では、比丘はいかに法において法を観じて住するのか。
36.2比丘たちよ、ここに比丘は五つの蓋において法を観じて住する。
36.3比丘たちよ、では、比丘はいかに五つの蓋において法を観じて住するのか。
36.4比丘たちよ、ここに比丘は、内なる欲貪があるときには「我に内なる欲貪がある」と了知し、内なる欲貪がないときには「我に内なる欲貪がない」と了知する。いまだ生起せざる欲貪の生起がいかにあるかを了知し、すでに生起せる欲貪の断滅がいかにあるかを了知し、すでに断滅せる欲貪の未来における不生がいかにあるかを了知する。
36.5内なる瞋恚があるときには「我に内なる瞋恚がある」と了知し、内なる瞋恚がないときには「我に内なる瞋恚がない」と了知する。いまだ生起せざる瞋恚の生起がいかにあるかを了知し、すでに生起せる瞋恚の断滅がいかにあるかを了知し、すでに断滅せる瞋恚の未来における不生がいかにあるかを了知する。
36.6内なる惛沈・睡眠があるときには「我に内なる惛沈・睡眠がある」と了知し、内なる惛沈・睡眠がないときには「我に内なる惛沈・睡眠がない」と了知する。いまだ生起せざる惛沈・睡眠の生起がいかにあるかを了知し、すでに生起せる惛沈・睡眠の断滅がいかにあるかを了知し、すでに断滅せる惛沈・睡眠の未来における不生がいかにあるかを了知する。
36.7あるいは、内に掉挙・悪作があるときは、「わが内に掉挙・悪作がある」と了知し、あるいは、内に掉挙・悪作がないときは、「わが内に掉挙・悪作がない」と了知する。また、未生なる掉挙・悪作の生起する次第を了知し、生起せる掉挙・悪作の捨断される次第を了知し、捨断されたる掉挙・悪作が未来において生起しない次第を了知する。
36.8あるいは、内に疑があるときは、「わが内に疑がある」と了知し、あるいは、内に疑がないときは、「わが内に疑がない」と了知する。また、未生なる疑の生起する次第を了知し、生起せる疑の捨断される次第を了知し、捨断されたる疑が未来において生起しない次第を了知する。
37.1このように、内に法について法を随観して住し、あるいは外に法について法を随観して住し、あるいは内外に法について法を随観して住する。
37.2あるいは法において生起の法を随観して住し、法において壊滅の法を随観して住し、法において生起と壊滅の法を随観して住する。
37.3あるいは、彼に「法が存在する」と気づきが確立される。ただ智の度合、専ら念の度合に至るまで。そして執着することなく住し、世において何ものをも執受しない。
37.4比丘たちよ、このようにして比丘は、五つの蓋において法について法を随観して住する。
37.5蓋の節、終わる。
38.04.2. 法随観・蘊の節
38.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は五つの取蘊において法について法を随観して住する。
38.2比丘たちよ、では、どのようにして比丘は五つの取蘊において法について法を随観して住するのか。
38.3比丘たちよ、ここに比丘は、
38.4「色はこのようである、色の生起はこのようである、色の滅尽はこのようである;
38.5「かく受あり、かく受の生起あり、かく受の滅尽あり」;
38.6「かく想あり、かく想の生起あり、かく想の滅尽あり」;
38.7「かく諸行あり、かく諸行の生起あり、かく諸行の滅尽あり」;
38.8「かく識あり、かく識の生起あり、かく識の滅尽あり」と;
39.1かく内に法において法を観じて住し、外に法において法を観じて住し、内外に法において法を観じて住す;
39.2あるいは法において生起の法を観じて住し、あるいは法において壊滅の法を観じて住し、あるいは法において生起と壊滅の法を観じて住す。
39.3「法が存在する」と、まさに彼の念は現前せり。ただ智のため、ただ念のためにして、何ものにも依らずして住し、世において何ものをも執着することなし。
39.4比丘たちよ、実にこのように比丘は、五取蘊において法において法を観じて住す。
39.5蘊の章、終わる。
40.04.3. 法随観・処の章
40.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は内と外の六処において法において法を観じて住す。
40.2比丘たちよ、ではいかにして、比丘は内と外の六処において法において法を観じて住すのか。
40.3比丘たちよ、ここに比丘は眼を知り、色を知り、その両者に縁りて生ずる結びを知り、未だ生ぜざる結びのいかに生ずるかを知り、生じたる結びのいかに断ぜられるかを知り、断ぜられたる結びの将来にふたたび生ぜざるを知る。
40.4耳をも知り、声をも知り、その両者に縁りて生ずる結をも知り、未だ生ぜざる結の生起することをも知り、已に生ぜる結の断ぜらるることをも知り、已に断ぜられたる結の未来において生ぜざることをも知る。
40.5鼻をも知り、香をも知り、その両者に縁りて生ずる結をも知り、未だ生ぜざる結の生起することをも知り、已に生ぜる結の断ぜらるることをも知り、已に断ぜられたる結の未来において生ぜざることをも知る。
40.6舌をも知り、味をも知り、その両者に縁りて生ずる結をも知り、未だ生ぜざる結の生起することをも知り、已に生ぜる結の断ぜらるることをも知り、已に断ぜられたる結の未来において生ぜざることをも知る。
40.7身をも知り、触をも知り、その両者に縁りて生ずる結をも知り、未だ生ぜざる結の生起することをも知り、已に生ぜる結の断ぜらるることをも知り、已に断ぜられたる結の未来において生ぜざることをも知る。
40.8意をも知り、法をも知り、その両者に縁りて生ずる結をも知り、未だ生ぜざる結の生起することをも知り、已に生ぜる結の断ぜらるることをも知り、已に断ぜられたる結の未来において生ぜざることをも知る。
41.1かくして、内なる法において法を観じつつ住し、あるいは外なる法において法を観じつつ住し、あるいは内外の法において法を観じつつ住す。
41.2法において生起の法を観じつつ住し、法において滅尽の法を観じつつ住し、法において生起と滅尽の法を観じつつ住す。
41.3あるいはまた、彼に「法が存在する」と念が現起す。ただ智のため、正念のために。そして依拠することなく住し、世において何ものをも執受しない。
41.4比丘たちよ、このように比丘は、内外の六処という法において法を観じつつ住す。
41.5処篇、終わる。
42.04.4. 法随観覚支篇
42.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は七覚支という法において法を観じつつ住す。
42.2比丘たちよ、では、いかにして比丘は七覚支という法において法を観じつつ住すのか。
42.3比丘たちよ、ここに比丘は、内に念等覚支が存在するとき、「わが内に念等覚支が存在する」と了知し、内に念等覚支が存在しないとき、「わが内に念等覚支は存在しない」と了知し、いまだ生起していない念等覚支がいかにして生起するかを了知し、生起した念等覚支がいかにして修習によって円満を達成するかを了知す。
42.4内に択法等覚支が存在するとき、「わが内に択法等覚支が存在する」と了知し、内に択法等覚支が存在しないとき、「わが内に択法等覚支は存在しない」と了知し、いまだ生起していない択法等覚支がいかにして生起するかを了知し、生起した択法等覚支がいかにして修習によって円満を達成するかを了知す。
42.5あるいは内に精進覚支あるときは『わが内に精進覚支あり』と了知し、あるいは内に精進覚支なきときは『わが内に精進覚支なし』と了知し、また、いまだ生ぜざる精進覚支のいかにして生起するかを了知し、また、生じたる精進覚支の修習によりていかにして円満するかを了知す。
42.6あるいは内に喜覚支あるときは『わが内に喜覚支あり』と了知し、あるいは内に喜覚支なきときは『わが内に喜覚支なし』と了知し、また、いまだ生ぜざる喜覚支のいかにして生起するかを了知し、また、生じたる喜覚支の修習によりていかにして円満するかを了知す。
42.7あるいは内に軽安覚支あるときは『わが内に軽安覚支あり』と了知し、あるいは内に軽安覚支なきときは『わが内に軽安覚支なし』と了知し、また、いまだ生ぜざる軽安覚支のいかにして生起するかを了知し、また、生じたる軽安覚支の修習によりていかにして円満するかを了知す。
42.8あるいは内に定覚支あるときは『わが内に定覚支あり』と了知し、あるいは内に定覚支なきときは『わが内に定覚支なし』と了知し、また、いまだ生ぜざる定覚支のいかにして生起するかを了知し、また、生じたる定覚支の修習によりていかにして円満するかを了知す。
42.9あるいは、内に捨等覚支があるとき「我に内に捨等覚支あり」と了知し、あるいは内に捨等覚支がないとき「我に内に捨等覚支なし」と了知し、いまだ生じていなかった捨等覚支の生起を了知し、すでに生じた捨等覚支の修習による円満を了知する。
43.1このように、内に法について法を随観して住し、あるいは外に法について法を随観して住し、あるいは内外に法について法を随観して住する。
43.2あるいは法について生起の法を随観して住し、法について壊滅の法を随観して住し、法について生起と壊滅の法を随観して住する。
43.3あるいはまた、彼において「法が存在する」と正念が現前して確立される。ただ智の増大のため、念の増大のためにのみ[確立され]、執着することなく住し、世において何ものをも執受しない。
43.4比丘たちよ、このように比丘は、七覚支という諸法において法を随観して住するのである。
43.5覚支の節、了ぬ。
44.04.5. 法の随観・諦の節
44.1比丘たちよ、さらにまた、比丘は法において法を随観して住する。すなわち四つの聖なる真理(四聖諦)においてである。
44.2比丘たちよ、では、比丘はどのようにして法において法を随観して住するのか。すなわち四聖諦においてであるのか。
44.3比丘たちよ、ここに比丘は、「これ苦なり」と如実に了知し、「これ苦の生起(苦集)なり」と如実に了知し、「これ苦の滅尽(苦滅)なり」と如実に了知し、「これ苦の滅尽に至る道(苦滅道)なり」と如実に了知する。
45.1このように、内に法について法を随観して住し、あるいは外に法について法を随観して住し、あるいは内外に法について法を随観して住する。
45.2あるいは法について生起の法を随観して住し、法について壊滅の法を随観して住し、法について生起と壊滅の法を随観して住する。
45.3或いはまた、彼において「諸法あり」と念が確立される。ただ智の増大のため、念の増大のために。そして依り処なく住し、世において何ものにも執着しない。
45.4比丘たちよ、このように比丘は四聖諦において法を法と観じて住する。
45.5諦節、終わる。
45.6法随観、終わる。
46.1比丘たちよ、実に誰であれ、これら四念処をこのように七年のあいだ修習するならば、その者には二つの果のうちの一つの果が期せられる。
46.2現法における究極の智、あるいは余執あるならば不還果である。
46.3比丘たちよ、七年は置くがよい。
46.4比丘たちよ、実に誰であれ、これら四念処をこのように六年のあいだ修習するならば……
46.5五年のあいだ……
46.6四年のあいだ……
46.7三年のあいだ……
46.8二年のあいだ……
46.9一年のあいだ……
46.10比丘たちよ、一年は置くがよい。
46.11比丘たちよ、実に誰であれ、これら四念処をこのように七か月のあいだ修習するならば、その者には二つの果のうちの一つの果が期せられる。
46.12現法における究極の智、あるいは余執あるならば不還果である。
46.13比丘たちよ、七か月は置くがよい。
46.14比丘たちよ、実に誰であれ、これら四念処をこのように六か月のあいだ修習するならば……
46.15五か月のあいだ……
46.16四か月のあいだ……
46.17三か月のあいだ……
46.18二か月のあいだ……
46.19一か月のあいだ……
46.20半月のあいだ……
46.21比丘たちよ、半月は置くがよい。
46.22比丘たちよ、実に誰であれ、これら四念処をこのように七日間のあいだ修習するならば、その者には二つの果のうちの一つの果が期せられる。
46.23現法における究極の智、あるいは余執あるならば不還果である、と。
47.1「比丘たちよ、有情の清浄のため、憂いと悲嘆の超克のため、苦痛と愁嘆の滅尽のため、正理の獲得のため、涅槃の現証のためのこの一筋の道がある。すなわち四念処である」と。
47.2このように説かれたことは、これに由って説かれたのである」と。
47.3世尊はこのように説かれた。
47.4心歓喜せるその比丘たちは、世尊の所説を歓受した。
47.5第十、念処経畢んぬ。
47.6第一、根本法門品畢んぬ。
48.0其の摂頌
48.1根本、善防護、法嗣、
48.2怖畏、無穢、希願、布喩;
48.3削減、正見、念処、
48.4無比なる勝品、善く円満せり。
出典: SuttaCentral
WEBREATH · 11:11
「全身体を感得しつつ息を吸おう、全身体を感得しつつ息を吐こう」 — マッジマ・ニカーヤ 10
息はすべての人にひとつ。誰であっても、何を信じていても、人はみなこの息によって生きています。毎日、現地時間の11:11に、人々は60秒間立ち止まり、呼吸をして、その息を神に感謝します。それぞれが自分の言葉で、それぞれが自分の内で。この1分間、私たちはひとつの息です。
WEBREATH — 現地時間11:11の1分間 — 私たちはひとつの息